再考経済学体系

中国人留学生のチューター。昨日ミクロ経済学を教える。ある程度はわかると言うので、読んで分からなかったところを私が説明するという形式。てか分かってなかった。試験まであと5ヶ月あるけど、片言の英語でのコミュニケーションはすごい時間がかかる。

ミクロ経済学において、静学分析に「短期」と「長期」という時間の概念がある。彼の理解していたそれらの概念が間違っていたので、説明したが納得いかないようだった。短期と長期の費用曲線を求める問題は一般的に出てくるので、早いうちに覚えてもらおうと説明しても「your opinion is not !」と返される。よく話し合ってみると、彼が「in marxism」と発言してすべてのわだかまりが解けた。

曰く、「均衡価格は短期においてはただの取引価格だが、長期においては価格はそのものの価値と一致する。」という分かるような分からんような主張を繰り返していた。われわれが扱う数理(近代?)経済学において、「すべてのモノの価値は貨幣で換算する」というのが大前提となっており、モノの(真の)価値は議論の対象にならない。価値(value)と価格(price)に違い等無い。しかしマルクス経済学おいてモノの価値と取引される価格の違いというのは非常に大きな価値を持つ。なぜなら市場経済によって価値と価格に乖離が生じ、その悪影響を消費者(労働者)が被るからである。


経済学は、「非人間的」とか「現実を捉えていない」という非難がよくなされる。私自身、人文社会科学(便利な言葉だ)の分野の友人との議論において先ほどのような非難を、しばしば感情的な語気にて受けることがある。それに対して「現実を捉えていない」のではなく「現実を抽象化して説明要因を特定し議論を簡略化している」、「非人間的だというのなら何を以って人間的なのか?経済活動において人間的であるということは営利的に動くことではないのか!?」とこちらもヒートアップしてグダグダに終わってしまうのだが、先述の非難をする人たちが指向する分析と、数理経済の分析はそもそも根本から違うのだからお互いをすりあわすことは不可能だ。


「人間」「人間」ってみんな言うけどそんなに人間って特別か?彼女なんか二次元でいいじゃないか!ていうか二次元世界で生きたい!とか、上手くまとまらなかったので書いてみる。